6月16日、神戸で開かれた兵庫県弁護士9条の会第14回定期総会に参加してきました。
総会では、市民にも公開した記念講演が行われるのが恒例になっています。
今年の総会では、土木技術者であり、沖縄で活動しておられる北上田毅さんが、「辺野古新基地建設は頓挫する!」との演題で講演してくださったのですが、今まで聞いたことのない視点から、辺野古新基地建設工事が大きな問題を抱えた工事であることを認識させてくれる非常に有意義な講演でした。
昨年秋の沖縄県知事選、今年2月の県民投票、今年4月の衆議院沖縄3区の補選と辺野古新基地建設NOの沖縄県民の民意は最近だけでも3回続けて示されているのに、民意が示されれば示されるほど、安倍政権は意固地になって工事を進めているというのが現状ですが、しかし、2018年3月、北上田さんらが行った公文書公開請求によって開示された防衛省の土質調査の報告書により、辺野古工事の核をなすといってよい大浦湾では最深部で海面下90mまでの軟弱地盤が広がっていること、政府が、辺野古の工事を強行しながらも、大浦湾の海底に広がる活断層と軟弱地盤の問題で深刻な事態に直面していることが明らかになりました。
特に軟弱地盤の問題については、海面下90mまで軟弱地盤が広がっている以上、工事を進めようすれば海面下90mまでの地盤改良が必要となることになりますが、わが国では、これまでに横浜で65mの地盤改良工事が実施されたことがあるのが最深で、現有の作業船では最大でも海面下70mまでの地盤改良工事しかできないということでした。
そのため政府は70mよりも深いところの地盤は固く、改良工事は不要ということを述べているようですが、そのような主張には何の根拠もなく、また70mまでしか地盤改良工事を行わなければ、完成後も深刻な地盤沈下が生じるのは必至です。
のみならず、仮に70mまでの地盤改良工事で終わらせるとしても、防衛局は、工事に必要なSCP工法の作業船を11隻集中させても5年近くを要するとしているが、日本に15隻しかないSCP工法の作業船11隻を辺野古に集中させることなど可能とは思われず、地盤改良工事が5年を超えることは避けられません。
そもそも、地盤改良工事に着手する前に7万4000群体のサンゴ類の移植を行わなければならないのですが、これをきちんとするだけで2年以上かかるとのとで、そうすると、2年以上かかるサンゴ移植後の地盤改良工事に5年以上、地盤改良工事後の護岸工事、埋め立て工事に5年以上かかり、更にそれから施設整備、供用開始手続が行われることを考えれば、少なくとも20年経たないと辺野古新基地はできないということになります。
辺野古ができても普天間が返還されるかどうかは明らかではありませんが、普天間返還の実現のためには辺野古移設しかないという政府の論法によっても、普天間基地は20年経たないと返還されないということになるのです。
しかも、上述したとおり、最深部で90mあるのに70mまでしか地盤改良工事ができないとすれば、基地完成後(供用開始後)も地盤沈下は避けられず、補修工事が継続的に必要となるところ、関空の沈下対策費は5年で1000億円という話のようですだが、辺野古の場合、それ以上の費用がかかることになります。
20年経たないとできない、いつできるかわからない、できても維持に莫大な費用がかかるのに、在沖米海兵隊の米領グアムへの移転が2024年秋にも始まります。
だとすれば、普天間も辺野古もいらないことは明らかで、沖縄県民があきらめない、沖縄県知事が毅然とした態度を取り続けるということが大前提だが、辺野古新基地建設は必ず頓挫する。
これが北上田さんの講演の結論でした。
土木技術者であり現地で活動されておられる方のお話だけであって、大浦湾の軟弱地盤ゆえに辺野古新基地建設が、技術的に相当な時間と費用を要する工事で、そんな工事が完成するまで普天間が返還されないというのであれば、やはり辺野古移設が普天間返還の前提などという政府の主張が詭弁に過ぎず、そんなまやかしに乗ることなく、普天間の即時返還、辺野古新基地建設工事の即時中止を訴えて行かなければならないことが再認識できた講演でした。
もっとも沖縄県民の意思は明確に示され続けているのに、安倍政権は頑なに辺野古に固執しています。
そうであれば辺野古新基地建設NO、日本に米軍基地はいらないとの一層大きな声をあげていかなければならないと思いますが、5月29日、野党5党派と市民連合が合意した政策協定では、改憲反対だけでなく、辺野古新基地建設中止と環境の回復、普天間の早期返還の実現と撤去も合意されています。
やはり参議員選挙で、野党に飛躍してもらう他ありません。
最後になりますが、辺野古に行ったのは工事が始まる前の2010年10月だけです(看板の写真は辺野古に設置されていたものを、そのときに撮影したもの)。
今年は無理かもしれませんが、来年にでも、もう一度絶対に行かなければならないと思っています。