昨日は竹嶋健治弁護士の命日で、ご自宅を訪問し、ご仏前に手を合わせてきました。
5年前の2月20日、元気だった竹嶋弁護士は脳溢血で急逝され、その年の12月28日、竹嶋弁護士とともに姫路総合法律事務所の基礎を築いた前田正次郎弁護士も心不全で急逝されました。
18歳の時に故郷の大分を離れて東京で大学、司法試験浪人時代を過ごし、神戸で1年4か月の修習生活を送り、1990年4月、29歳とのときに弁護士登録と同時に姫路総合法律事務所に入所した私は竹嶋弁護士、前田弁護士と同じ事務所でお二人が亡くなられるまで一緒に弁護士をしてきました。
一緒に過ごした時間は、親、兄弟と一緒だった時間よりも長かったということになりますが、2015年の正月、竹嶋弁護士から頂いた最後の年賀状には、「もう5年頑張って、あとは若手でお願いします」と書いてありました。
この年賀状をもらったとき、後5年したら、私も還暦になるけど、この「若手」の中に自分は入っているのだろうかと思い、そのことを、いつか聞いてやろうと考えていたのですが、真意をお聞きすることのできない間に竹嶋弁護士は突然いなくなってしまいました。
それから5年。
相当しんどいときもありましたが、何とか周囲の人に支えられ、竹嶋弁護士、前田弁護士が築き上げた、弁護士の使命である基本的人権の擁護と社会正義の実現の志を持ち、本当に困った人たちがいつでも気軽に利用できる姫路総合法律事務所を維持することができてきました。
弁護士登録したときには30名台だった姫路支部の弁護士は、司法改革のもとで130名台にまで膨れ上がり、竹嶋弁護士、前田弁護士と3人だった時代のような忙しさはなくなりましたが、それでも労働事件、労災事件等々、姫路総合法律事務所でなければできない事件はまだまだ少なくないように思います。
頼ってくれる人たちがいる限り、地域事務所としての姫路総合法律事務所を西播の地からなくしてしまうわけにはいきません。
もはや若手とはいえない年齢になりましたが、取り敢えず、後5年、志を曲げることなく、頑張ってみようと思います。
ブログも3月からは本格的に再開します(写真は1996年10月、神戸で開かれた自由法曹団の75周年記念レセプションにて撮影したものです)。