広島、長崎に原爆が投下されてから78年。
8月6日に広島市で行われた平和記念式典で、松井一実市長は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」と「核抑止論」からの脱却を訴えたのに続き、8月9日、長崎市で行われた平和祈念式典でも、鈴木志朗市長は、「私たちの安全を本当に守るには、地球上から核兵器をなくすしかない」と、「核抑止」ではなく、「核廃絶」を訴えました。
「核抑止論」とは、核兵器を持てば、使用しなくとも、報復を恐れる相手の攻撃を未然に思いとどまらせることが可能であり、そのような観点から核兵器の開発と配備を進めるという考えで、5月に行われた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で採用された核軍縮文書「広島ビジョン」が肯定した戦略論です。
しかし、8月8日付の東京新聞の社説が、「核抑止論を突き詰めれば、平和の維持には、すべての国が核武装するか、核保有国の『核の傘』に入る以外の選択肢はなくなる。そんな世界を誰が望むのか」と述べているとおり、「核抑止論」のもとでは、自国の安全を守るためには核を保有するか、核の傘に入るしかないわけですから、世界中が核だらけになってしまいます。
松井一実市長が指摘しているとおり、アッという間に片が付くと考えていたプーチン大統領が、ウクライナ侵略が泥沼化する中で、テレビ演説で、核戦力の使用も辞さない構えを示して欧米側を威嚇したことかも明らかなとおり、核を持てば、その保有国が持っている核を使用しない保証はどこにもありません。
持っていれば、相手から攻撃されることはないというのではなく、先に使ってしまえば、相手から報復されることもないと考える馬鹿な為政者が現れないという保証はどこにもないのです。
東京新聞の社説が述べているとおり、核だらけになった世界の中で、いつ核が使われるのかということに怯えながら暮らしていくことを望んでいる人など誰もいないのではないでしょうか。
私たちの安全を、そして平和な社会を守るためには、核を廃絶するしかありません。
我が国がすべきは、唯一の戦争被爆国として、「核抑止」ではなく、「核廃絶」の先頭に立つこと、そのために速やかに核兵器禁止条約を批准することです。