12月4日、ペシャワール会の現地代表をしておられる中村哲医師が、アフガニスタン東部で武装集団に銃撃され、亡くなられました。
父が亡くなり、来年の1月半ばまでブログはしばらく休む予定だったのですが、この訃報に接し、一言、哀悼の意を表したく臨時的にブログを更新します。
毎年5月の憲法記念日にあわせて実施されるはりま憲法集会。
私が事務局長的な立場に立つようになったのは、2007年の第29回はりま憲法集会からです。
事前準備のための実行委員会では、わからないことばかりで、講師を頼むあてもないような状況だったのですが、実行委員会に参加してくれていた先生9条の会の1人がペシャワール会の活動を支援しており、中村哲医師を紹介してくれ、中村哲医師の講演をメインにした集会を企画しました。
恥ずかしながら、それまで中村哲医師のことは存じあげなかったのですが、いろいろと情報収集する中で中村哲医師が市民による丸腰の支援こそが平和に貢献できるという信念に基づき、ペシャワール会の現地代表としてアフガニスタンで医療や農業の支援活動を続けている、評論家の佐高信氏の言葉を借りれば、まさに「歩く日本国憲法」ともいえる方だということを知りました。
そして2007年の憲法集会で、中村哲医師は、「武器なき国際貢献」という演題で、スライドを使い、アフガニスタン現地での活動を紹介しながら、真の国際貢献というものがどういうものなのかということを自らの体験に基づき説得的に話してくださいました。
このとき、お話も素晴らしかったのですが、とにかく驚いたのは予想もしない大勢の参加者があったことです。
岡山や大阪、京都からも、まさに追っかけといってもよいような熱烈な中村ファンもたくさん駆け付けてくれるなど、800人の会場に1000人以上が詰めかけ、会場は立ち見であふれるという大盛況の状況となりました(もう時効ですが、消防法違反の状態だったかもしれません)。以降の憲法集会では、それなりの参加者を集めているものの、後にも先にも会場が立ち見の参加者であふれかえるような大盛況の集会を実現できたのはこの時の集会だけです。
この集会の翌年の2008年、用水路建設に携わっていたペシャワール会の伊藤和也さんが武装勢力に銃撃され死亡するという事件が起きているのですが、それでも中村哲医師は現地での活動を続けておられました。
中村哲医師は、自衛隊が米国に追随して海外に出て行けるようになる中で、国会でも、参考人として「前は、日本は国連以上に信頼されていた。日本の旗をつけていれば、武装集団に襲われることはなかった。9・11以降は日の丸を揚げていると逆に危なくなった」と、軍事行動でなく「信頼が安全保障」となる旨を訴えてこられました。
12月6日の神戸新聞に掲載されていた、国際医療支援団体「ジャパンハート」の創設者で、現在も発展途上国で無償の医療活動に奮闘しておられる吉岡秀人医師の追悼文の最後は、つぎの言葉で締めくくられていますが、まったくそのとおりだと思います。
日本人は彼の人生を知るべきだと思う。そうすれば愛とは何かを知ることができるだろう。
日本人は彼の夢を知るべきだと思う。そこには本当の国際協力とは何か? 平和とは何かというメッセーが織り込まれているから。
私たちは、武力や軍事行動では真の国際貢献を果たすことができないことを、今一度、胸に刻まなければなりません。
合掌。
写真はいずれも2007年のはりま憲法集会で撮影したものです。