発生から29年目を迎えた1月17日の神戸新聞の姫路版でですが、「阪神・淡路の経験生かしたい」との見出しで、震災発生後約3週間後(正確には2月5日)、自由法曹団の行った現地調査と現地での震災法律相談活動に参加したことを紹介してもらいました。
1995年2月5日、神戸の交通機関がまだ十分復旧していないなか、全国から約100名の自由法曹団員が集まり、被害の大きかった東灘区と長田区の二手に分かれて、避難場所となっていた小学校で法律相談を行ったのですが、2015年に亡くなられた竹嶋弁護士、前田弁護士、そして私、平田弁護士(ひめじ市民法律事務所)と当時の姫路総合法律事務所の全員で、この法律相談に参加しました。
このとき、被災地の凄惨な姿に愕然としながらも、小学校1年生の教室で、小さな机をはさみ、お尻が半分も入らない椅子に座って被災者の方々と向き合って法律相談を行った経験が、弁護士のやるべきことは事件処理だけではないのだと、その後の私の弁護士としてのスタンスに大きな影響を与えることになったことは、かなり前になりますがこのブログで書いたとおりです。
その後、2011年3月11日に発生した東日本大震災のときは、5月11日、兵庫県弁護士会から派遣され岩手県釜石市で法律相談を担当したのですが、このときも、阪神・淡路大震災のとき以上の凄惨な現地の状況に本当に言葉を失ってしまいました。
もっとも、釜石での法律相談の件数は、阪神・淡路大震災のときに長田区の小学校で行ったときの法律相談よりもかなり少なかったのですが、これは発生から2か月経過し、この間、岩手弁護士会の弁護士、そして札幌、青森、秋田、大阪、京都、兵庫から派遣された弁護士が連日、いくつかの被災地にわかれて法律相談を行っていたため、法律相談を必要としていた被災者の少なからぬ方々が既に法律相談を終えていた影響も少なくなかったのではないかと思っています。
もちろん、被災された方々がまず必要とするのは水、食料等々の生活の必需品であり、弁護士が法律相談を現地で行うからといって順番待ちの列ができるようなことにはなりません。
しかし、倒壊した自宅の残った住宅ローンはどうなるのか、倒壊した借家について敷金の返還を求めることができるのか、保険金の請求はできるのか等々、被災者の方の中には、震災発生前の日常の生活を取り戻すために、法的な援助を必要としている方が必ずおられるはずですし、そうした法的な支援も早ければ早い方がよいというのが、阪神・淡路大震災、東日本大震災で現地相談を担当してきた実感です。
(2011年5月11日、釜石市嬉石体育館にて撮影)
神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)は、自由法曹団の現地調査に先立つ1月26日から電話相談を開始し、全国から駆け付けたボランティア弁護士の協力で2月1日から面談による相談を開始した、電話相談には3本の電話に相談がひっきりなしにかかってくる状態だったという記録が残っていますが、今回の能登地震で金沢弁護士会は1月4日から電話相談を開始しているようで、弁護士会の迅速な対応に敬意を表さずにはいられません。
近畿弁護士連合会は、被災地弁護士会や日弁連からの要請を前提として、被災者向けの電話相談だけでなく、現地での法律相談の実施の検討を始め、支援活動に協力できる弁護士の募集を開始しましたが、還暦過ぎとなった私も現地(石川県等)での法律相談の対応を検討可能であるとして、支援担当者MLに登録しました。
神戸新聞での取材でも述べたことですが、被災者の命を直接助ける活動に取り組むことはできないものの、被災者の方々の生活支援のための助力をすることはできます。
要請があれば、現地に赴いて、微力ながらそうした活動に取り組みたいと考えています。
(アイキャッチ画像は1995年2月5日神戸市長田区での現地調査で撮影したもの)