高市早苗氏が自民党総裁に選出され、わが国で初めての女性総理大臣の誕生が確実となりました。
靖国、統一教会、裏金問題にどう対応するのか、とまらない物価高騰の中で生活に苦しんでいる国民をどのように救済するのか、まずはお手並み拝見と思っていたものの、荻生田光一氏を入閣させるということで最初から少し首をかしげざるを得ないのですが、何よりもびっくりしたのが、高市氏、選出後の党所属国会議員へのあいさつで、「ワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と述べたことです。
この発言に、過労死遺族の方は、「命より大切な仕事はない」、国会の前回一致で成立した過労死防止法を「ないがしろにする発言で問題だ。影響力をもっと重く考えてほしい」と懸念を表明されていますが、私も、この発言には強い違和感を抱かざるを得ません。
ネットでは、高市氏の発言は、自身と国会議員に向けたものに過ぎない、国民にワーク・ライフ・バランスを捨てろとは言っていないなどとして、これを擁護する声もあるようですが、総理大臣が、国民のために骨身を削って働いてもらうのはよいとしても、問題なのは、何故、頑張って働いていくということを述べるのに、わざわざ「ワークライフバランスを捨てる」と言わなければならなかったのかということでしょう。
総理大臣、閣僚、そして国会議員も自分一人で仕事をしているわけではありません。官僚、公務員、そして秘書の方々等、多くの人の支えによって仕事ができるわけですが、上の人間が「ワークライフバランスを捨てる」と言えば、これに同調圧力を感じ、「自分は家庭も自分の生活も大切にしたい」などと言える人は決して多くはないのではないでしょうか。
また、国のトップが「ワークライフバランスを捨てる」と言っているのだと、会社経営者の中にも、「ウチもワークライフバランスを捨てる」と言い出す人が出てきたら、その会社で働く人たちが家庭と仕事を両立させて、ゆとりのある生活を送ることはやはり困難となるでしょう。
会社のトップではないものの、参政党の議員が、早速、Xで、高市氏の発言に賛意を表明し、「本人が望むなら“とことん働ける自由”も日本に取り戻した方が良い」などと述べているようですが、勘違いも甚だしい。
過労死しなければならない、あるいは自死を選択しなければならないような長時間労働を自ら望んでする人など誰もいません。過労死、過労自死された多くの人たちは、働き続けなければならないような業務を押しつけられ、命を落とすような状況に追い込まれていったのであって、「本人が望めば」という言葉は悲惨な事態が生じたとき、簡単に「本人が望んだ」「本人は文句を言わなかった」という言葉に置き換えられてしまいます。
「本人が望めば」などという言葉で問題をごまかし、自己責任の名のもとに際限のない長時間労働を認めるような社会では、過労死、過労自死する人はいつまでたってもなくなりません。
厚生労働省は、平成19年12月に策定した「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」は、国民の大きな方向性を示すものとの立場をとっています。
過労死弁護団は、6日、高市氏の発言について、「政府が推し進めてきた健康的な職場づくりを否定し、古くからの精神主義を復活させるもの」として撤回を求める声明を出したようですが、声明が述べるとおり、高市氏の発言は、ご自身がどのようなことを意図していたかはともかく、結果として、そうした政府の方針を否定するものに他なりません。
高市氏はワーク・ライフ・バランスを推進する先頭に立たなければならない立場に就く人です。
トップに立つ者は、自分の発言がどれだけ強い影響力を持つのかということを常に頭において発言しなければなりません。
PS 私は「ライフ・ワーク・バランス」という言葉を使っていますが、このブログでは高市氏の発言に合わせて「ワーク・ライフ・バランス」と表記しました。尚、アイキャッチ画像は東京ラボで撮影したもの。特にブログとは関係ありません。