冒頭のロゴがパラリンピックのシンボルであることをご存じの方は、あまり多くないのではないでしょうか(私も最近まで知りませんでした)。
2015年9月、その年の春に高校を卒業したばかりの18歳のF君が、就職先での作業中、機械に右腕を巻き込まれ切断するという痛ましい事故が発生しました。
そのF君(正確にはF君の両親)の委任を受け、損害賠償請求訴訟を提起した事件は、今年の1月、無事、和解で終了したのですが、和解が成立しても失われた右腕が戻ってくるわけではありません。
担当していた事件の中でも重い事件の一つだったのですが、救いは、訴訟提起中からF君がとても明るく、事故にめげることなく自らの力で将来を切り開いていこうという意欲を感じることができていたことでした。
兵庫県南西部に設置された播磨科学公園都市(光都)にある兵庫県立西播磨総合リハビリテーションセンターが運営するふれあいスポーツ交流館は、兵庫県下における障害者のスポーツの中核拠点となっており、障害者のための様々な施設が設置されています。
F君は、ここでリハビリ中、水泳のコーチに声をかけられ、水泳に熱中するようになり、6月に行われた日本障害者水泳連盟が主催する水泳の近畿大会を突破して、何と背泳ぎ、自由型で日本パラ水泳選手権大会に出場することになったのです。
12月1日、2日に開催された第35回日本パラ水泳選手権の開場は、三重県スポーツの杜・鈴鹿水泳場。
姫路から200キロ強離れていますが、12月1日、車を走らせ、その応援に行ってきました(鈴鹿を訪れるのは、鈴鹿サーキットに泊まった高校の修学旅行以来です)。
パラ水泳では、障害別にクラス分けがされますが、レースは同じ障害を持つ人同士で泳ぐのではなく、様々な障害を持つ人が一緒に泳ぎます。そして、タイムだけでなく他の指数も使ってポイントを計算し順位を決めるため、タイムや着順がそのままの順位になるわけではありません。
50m背泳ぎに出場したF君は一緒に泳いだ8人中2位。
隣のレーンを泳いだ1位の選手は大会記録で、F君自身も好記録だと思ってはいたのですが、結果はS(運動機能障害)8クラスで2位。
日本選手権で2位なんて、本当にすごいの一言です。パラリンピックも夢ではありません。
また、F君の応援に特に力がはいったことはもちろんですが、パラ水泳日本選手権に参加した障害者アスリートは500名強。各レースでは大会記録、日本記録が連発されるだけでなく、アジア記録まで飛び出し、様々な障害を抱えたアスリートが、当初、予想していたのを遙かに上回るスピードで泳ぐ姿には本当に心を揺さぶられるものがありました。
もっともスポーツ観戦は好きな方なのに、これまで障害者スポーツを観戦したことがなかったということ自体、心のどこかに障害者の競技はやはり健常者の競技とは違うという思いがあったからなのでしょう。
錦織選手が2014年夏の全米オープンで準優勝する前の話だと思いますが、日本の記者がテニスのロジャー・フェデラーに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」とインタビューした際、フェデラーが「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか」と答えたのは有名な話です。
国枝慎吾選手は、グランドスラム車いす部門の最多優勝記録保持者で、パラリンピックでも金メダルを獲得しているテニスプレーヤーですが、フェデラーの言葉は、フェデラーがグランドスラムを達成した国枝選手をリスペクトしているというだけでなく、健常者スポーツと障害者スポーツとを区別していないことを示すエピソードです。
しかし、フェデラーのような感覚を持っている人は、正直、日本では特に少数だといわなければならないのではないでしょうか(私もその一人だったということになります)。
障害者と健常者が共生する社会、障害を持つ人々と健常者が対等な社会、両者の間に垣根のない社会を実現するためには、まず、私たちひとりひとりが意識を変えていかなければなりません。
そんなことを考えさせられた一日でした。
尚、パラ水泳日本選手権の記事、ネットでは配信されていたものの、朝日新聞にも毎日新聞にも紙面ではまったく報じられていなかったようですが、しんぶん赤旗は、男子50m背泳ぎS(肢体不自由)4クラスで大会記録を出して優勝した鈴木孝幸選手の写真を掲載するなど、一定のスペースをさいて記事を掲載していました。赤旗のスポーツ記事、野球、サッカーといった人気競技に偏っていないこと、様々な競技を報じていることは気づいていたのですが、パラ水泳も掲載したのは、さすがという他ありません。