自民党が改憲項目として掲げる4項目のうちの1つに緊急事態条項があります。
法律に基づく緊急事態宣言と憲法上の緊急事態条項はまったく別物で、この二つは明確に区別しておく必要があります。
緊急事態条項とは、戦時や大災害時等の緊急時、憲法上の基本的人権の保障や議会の権限を停止し、内閣総理大臣に全権力を集中して、内閣総理大臣に国会の関与なしに法律と同じ効力を持つ政令を出す権限を与える条項のことですが、憲法記念日の5月3日、菅首相は、改憲派の集会に寄せたビデオメッセージで、緊急事態条項について、「大地震等の緊急時に国民の命と安全を守るため、国家や国民がどのような役割を果たすか、憲法にどう位置付けるかは極めて重く、大切な課題だ」と訴えたようです。
これに対し、芥川賞作家の平野啓一郎氏は、「こんな無能な政権に憲法が緊急事態条項の三権分立に基づかない権力を与えてたら、どんな恐ろしいことになってたか。補償もなしに、ロクな対策もできないまま批判を抑え込み、対案を無視し、私権制限しまくって、地獄だっただろう」と投稿、別のツイートでも「PCR検査の拡充に、ワクチン接種の迅速化に、医療態勢の強化に、なんで緊急事態条項が必要なのか? 馬鹿も休み休み言ってほしい」と批判されておられますが、極めて的を射た指摘だと納得せずにいられません。
また、自民党の下村博文政調会長は改憲派の集会に出席し、緊急事態条項創設の実現を訴える中で感染症拡大を緊急事態の対象に加えるべきだと述べ、「今回のコロナを、ピンチをチャンスとして捉えるべきだ」と語ったようですが、これに対しては、日本共産党の志位委員長が、「多くの人命が失われ、多くの人々が困窮の最中にあるときに、『チャンス』と言って恥じない。自民改憲派の政治的・倫理的堕落は底なしだ。憲法を論じる資格はない」と批判しているとおりで、コロナを改憲の口実に使うような政治家に政治家としての資質を認めることなどできません。
大災害に対しては、災害対策基本法、災害救助法など、既に制定されている法律により十分対応することが可能ですし、コロナ禍に対してもコロナ特措法での対応が十分可能だった筈です。コロナ禍が収束しないのは、PCR検査の拡充、ワクチン接種の早期実施といった課題に政権対応が後手後手となっているからで、憲法のせいではありません。
ヒトラー政権は何も暴力革命的な手法で誕生したのではなく、選挙によって成立した政権でした。
当時のドイツ憲法は、世界で初めて生存権を定めたワイマール憲法。極めて民主的な憲法だったのですが、ワイマール憲法は48条2項が非常大権(大統領緊急令)の規定を持っており、ヒトラーはこの規定を濫用して全権委任法を成立させ、独裁政治を実現していったのです。
改憲派の人の中には、世界103か国の憲法が緊急事態条項を持っているのに、現行憲法に緊急事態条項がないのは憲法の不備などという人がいますが、かかる歴史を目の当たりにして生まれた現行憲法は、ヒトラー、ナチスの愚挙を反面教師として、緊急事態条項をわざと置かなかったものと理解しなければなりません。
現行憲法の制定に際し、衆議院で、緊急事態条項がない理由を問われた当時の金森徳次郎国務大臣は、「民主政治を徹底させて国民の権利を充分擁護するためには、非常事態に政府の一存で行う措置は極力防止しなければならないこと」「非常という言葉を口実に政府の自由判断を大幅に残しておくとどの様な精緻な憲法でも破壊される可能性があること」を明確に答弁しています。
そもそも、緊急事態条項を一番必要とする事態とは、いうまでもなく「戦争」ですが、そうであれば一切の戦争を放棄した憲法9条を持つ現行憲法が緊急事態条項を置いていないのは、この点からも当然のことと言わなければなりません。
立憲民主党の枝野幸男代表が、「必要な対策が打てていないのは、根拠なく楽観論に基づき、命や暮しを守ることを最優先しない政策判断にある。まったく関係ない憲法のせいにしている」と述べておられるとおり、コロナ禍の中で求められていることは憲法を改正して緊急事態条項を設けることではなく、憲法の理念に即した政治を実現することです。