6月8日の朝日新聞夕刊に、翻訳家の田口俊樹氏がレイモンド・チャンドラーの名作「The Long Good-bye」を新訳したものを「長い別れ」の邦題で刊行したという記事を読み、気になってさっそく購入し、10日近くかけて読破しました。
最近はあまり読まなくなったものの、推理小説は小学生のときにコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを児童書向けの翻訳で全作読破してから、特に弁護士になるまでの間、結構いろいろ読んできました。
個人的に好きなものをあげると、古いものばかりになりますが、高木彬光氏の「白昼の死角」、松本清張氏の「ゼロの焦点」、森村誠一氏の「人間の証明」、比較的新しいものとしては東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」ということになるでしょうか。
これらの作品はすべて映画化もされていますが、映画としては、「白昼の死角」が一番良かったと思います。昨年、Huluで何十年振りかに見直しましたが、既に亡くなられている夏八木勲氏が演じる主人公の鶴岡八郎は小説とぴったりで、大学時代に読んで、それまで勉強しても全くイメージの持てなかった手形小切手を具体的にイメージできるようにしてくれた作品として小説も映画も忘れることができません。
松本清張氏の作品、映画としてはなんといっても「砂の器」とこいうことになりますが、小説としては長編の中では個人的には「ゼロの焦点」の方が好きです。
海外の作品については、アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」は、やはり大学の時に読んで、読み終えた後、「すごい」と唸った記憶がありますが、海外の作品は、なにせ登場人物の名前を覚えるのに一苦労するため、その後、あまり読んでいません。
今回、推理小説としても、海外の作品の翻訳書としても久し振りの挑戦となった「長い別れ」。
長編であるにもかかわらず挫折することなく読み終えることができたのは翻訳が読みやすかったからだと思いますし、読み終えて、「The Long Good-bye」という題名が作品にぴったりであったことを納得する作品でした。もっとも、やはり登場人物の名前を理解するのは一苦労で、作品の本当の良さを理解するためには、もう一度読み直さなければならないのだと思いますが、その時間をとるのは正直なかなか難しいところです。
ところで、シャーロック・ホームズの原作、長編は4つですが、そのうちの1つである「バスカビル家の犬」が、ディーン・フジオカ氏と岩田剛典氏の主演で「バスカヴィル家の犬-シャーロック劇場版」として映画化され、姫路でも本日から公開されています。
なにぶん原作を読んでから50年経っており、はっきりした記憶はないものの、予告編を観る限りラスト・シーンなど原作とは結構変わっているのではないかという気がしないでもありません。
原作とラストを変えた映画としては、石坂浩二氏が金田一耕助を演じた横溝正史氏の「獄門島」があり、これは映画の方も納得して見ることができたのですが、1975年に映画化された「そして誰もいなくなった」は、テレビで観て、原作と全然違うラストに「こんなのありか。原作台無し」とかなり憤慨した記憶があります。
まあシャーロック・ホームズの第一作「緋色の研究」が発表されてから130年強。
そうした原作を現代に置き換えて映像化しようとすれば、原作どおりといかないことは仕方ない面もあるのかもしれません。「ゼロの焦点」や「人間の証明」は時代背景が極めて重要で原作に忠実に現代に置き換えることなどもはや不可能でしょうし、手形をみることがなくなった昨今、手形のパクリを主題にした「白昼の死角」のような作品が出てくることも、もうないのでしょう。
それでも、「バスカヴィル家の犬-シャーロック劇場版」はどうなっているのか気になるところで、子どもたちが小学生の時に買ってあげた児童書版の「バスカビル家の犬」が家に残っていたので、時間があれば、こちらの方を読み直してから、映画の方も観に行きたいと思っています。
(アイキャッチ画像は2015年10月に撮影した横浜・山下公園)