3月末、90歳となった母の卒寿のお祝いに大分に帰省、父の仏壇を参って、母らと別府温泉で一泊してきました。
その帰り道、小倉で途中下車して小倉城に桜を観に行き、松本清張記念館に立ち寄って帰ってきたのですが、まだ満開には少し早かったようです。
4月2日、2人目の孫が生まれました。今度は男の子ですが、母子ともに健康だということで、それがなにより。
3月には、久々に内視鏡検査、造影剤を使ってのCT検査を行ったのですが、がんの転移再発は認められないとのことでした。
大丈夫だと思いながらも、不安になるときも少なくなく、転移再発なしという検査結果に安堵し、姫路城にも桜を観に行ったのですが、こちらはほぼ満開。自宅近くの散歩コースである姫路獨協大学の桜も満開でした。
昨年は姫路城の桜を観に行くと疲れ果てて、夕方に一眠りしなければなりませんでしたが、今年は、小倉城周辺、姫路城周辺を散策しても、体調に大きな変化はなく、それでもすぐに疲れてしまうのは、まだまだ体力が十分回復していないからでしょうが、去年に比べれば、少しずつ元気になっているのだと思います。
というようなことがあって、いたって晴れやかな気持ちになり、がんの告知を受けたのと同じ一昨年5月に生まれた初孫、手術後、転移再発なしの検査結果を聞いた直後に生まれた2人目の孫が成人するまで、まだまだ頑張るという気持ちになっていたのですが、長年、がんと闘っていた坂本龍一さんの訃報をきき、また少し落ち込んでいるところです。
坂本さん、音楽も素晴らしかったけど、安倍政権が戦争法を強行採決した2015年夏、戦争法に反対の立場を鮮明にしていた学者の会とSEALDsに「多くの日本人のなかに、兵器への忌避感、戦争への拒否感、つまりは憲法9条の精神が、今でも深く刻み込まれていることが分かりました。これらのことが私にとっては唯一の希望です」とのメッセージを送るなど、「反対し続けなければ、なくらない」との信念のもとで、長年にわたって、反戦、反原発活動を続けてきた、物申す音楽家でした。
訃報が伝わってきた4月2日は、亡くなったRCサクセッションの忌野清志郎の誕生日でしたが、清志郎と坂本龍一さんがコラボした「い・け・な・いルージュマジック」、大好きでした。
まだまだ素晴らしい音楽、そして信念に基づいた反戦、反原発のメッセージを聞きたかった。
本当に残念です。
ただ、その高い理想は、志を同じくする人たちで受け継いでいかなければなりません。