自民党の杉田水脈氏衆議院議員が、雑誌「新潮45」に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」で、大きな批判を浴びています。
ここでは、LGBTの人たちは「子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」ということが平然と述べられるとともに、支援を不要とする理由について、「LGBTだからといって、実際に差別されているのでしょうか」「そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、『非国民だ!』という風潮はありません」ということが述べられています。
この国で、LGBTの人たちが様々な差別や偏見にさらされているということは、内閣府が昨年10月に行った世論調査では、LGBTの人たちにどのような人権問題が起きていると思うかとの質問に、「差別的な言動をされること」を挙げた人が49%、「職場、学校等で嫌がらせやいじめを受けること」を挙げた人が35%にものぼったという結果を待つまでもなく明らかだと思っていましたが、こうした調査結果も無視し、「LGBTの人たちに差別はない」と言ってのけるこの政治家にとって、差別とは一体何なのでしょうか。
また、既に多くの人が指摘しているとおり、「生産性」があるかないかで、法的な支援の有無を決めるという発想自体、多様性、そして個人の尊厳を否定する、極めて危険な考え方であると言わなければなりません。
冒頭のポスターは、自由法曹団の神原元弁護士のツィートを通じて初めて知った、ナチスが作ったポスターで、「遺伝性の疾患を持つこの患者は、その生涯にわたって国に6万ライヒスマルクの負担をかけることになる。ドイツ市民よ、これは皆さんが払う金なのだ」と書かれています。
ナチスはホロコーストにより数百万ものユダヤ人を虐殺しましたが、ユダヤ人だけではなく、ポスターに書かれたスローガンのもとで、20万人もの障害者や同性愛者を安楽死させているのです。
生産性がないという言葉で切り捨てれば、障害を持つ人に対する法的支援も、高齢者に対する社会保障もすべて不要ということになってしまいますが、そのような言葉で社会的弱者と呼ばれる人たちを切り捨てる政治家は厳しく批判されなければなりません。
ところが、自民党の二階幹事長は、7月24日の記者会見で、杉田水脈氏の寄稿について「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」などといって批判することをしませんでした。
そして7月29日のネット番組で、自民党の谷川とむ議員は、同性婚や夫婦別姓について、「趣味みたいなもので」と、杉田議員の寄稿を擁護するような発言をした上で、乙武洋匡氏からその発言を批判されると、「『婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立』との憲法24条により、現状では、同性婚の容認は困難であると言うことです」とまで、述べたようです。
この人は憲法のことがわかって話しているのだろうかと思っていたら、安倍首相が、2015年2月18日の参議院本会議で、「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べていたことをネットで知りました。
同性婚や夫婦別姓を認めるか否かは、個人の尊厳に関わる問題で、人生観や趣味の世界の話ではありません。
また、個人の尊厳を謳う憲法が同性婚、夫婦別姓を否定している筈がありません(憲法学者の中に憲法が同性婚を禁止しているという説を唱える人など誰一人としていない筈です)。
ネットなどでは、杉田議員を批判する声だけでなく、杉田水脈議員を批判しない自民党にも批判の声が高まっていますが、もともとは次世代の党に所属していた杉田水脈氏を自民党に引き入れ、比例区から立候補させたのは安倍首相ですから、自民党がこの問題にけじめをつけるべきは当然のことでしょう。
問題を静観しようとした自民党は、抗議の声が大きくなったことから、8月1日付でホームページに、わが党は「性的指向・性自認に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定に取り組んでいます」と述べた上で、杉田議員本人にも、「寄稿文に理解不足と配慮を欠いた表現があることについて、今後、十分注意するよう指導した」旨の一文を掲載するようになりました。
しかし、ここでは6月の東京都内の講演で「子どもを産まない幸せは勝手」と、7月の記者会見で杉田議員の見解を「人生観の問題」と述べた二階幹事長の発言や、「憲法24条のもとで同性婚は認められない」と安倍首相の国会発言に倣って、同じことをネット番組で述べた谷川とむ議員に対する発言についての指導注意をした旨は一切述べられていません。
しかし、そのような多様性や個人の尊厳を否定した幹事長や議員の発言、安倍首相の誤った憲法解釈を放置したままで、本当に「性的指向・性自認に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法」が制定できるのか、極めて疑問です。