今日は、阪神淡路大震災が発生してから24回目の1月17日です。
阪神淡路大震災の発生から四半世紀近くが経過したことになります。
阪神淡路大震災が発生した1995年の自由法曹団兵庫県支部の支部報「the団」には、「一番印象に残っているのはやはり自由法曹団として行った2月5日の東灘と長田での法律相談である。私たち姫路総合法律事務所の弁護士4名は長田の方に参加したのであるが、倒壊した建物や一面焼け野原となっている菅原商店街などを実際に目の前にしてその壮絶さにショックを受けた反面、石川団長をはじめ、大阪、岡山、広島から多くの団員が長田での行動に参加してくれており、改めて団の団結力と行動力を認識した次第である」と書きました。
当時の姫路総合法律事務所は、竹嶋弁護士、前田弁護士、平田弁護士と私の弁護士4名体制でしたが、2月5日、自由法曹団が避難所となっている神戸市長田区小学校で行った法律相談に事務所の弁護士全員で参加しました。
震災後、初めて被災地、しかも最も被害の大きいといわれていた長田区に入ったのですが、被災地の凄惨な姿に愕然としながらも、小学校1年生の教室で、小さな机をはさみ、お尻が半分も入らない椅子に座って被災者の方々と向き合って法律相談を行った経験は言葉では言い表せない貴重な経験でした。
当時、弁護士5年目がようやく終わろうとしている新米弁護士の域を出ない時期だったのですが、自ら被災されながらも被災地の復興と被災者の支援に奔走する神戸の弁護士、法律相談に大阪、京都、岡山、広島から手弁当で駆けつけてきた弁護士の姿を見て、弁護士の業務は事件処理だけではない、事件処理以外にも弁護士がやれること、弁護士しかやねれないことがあるという思いも強くした次第です。
そうした思いが、2011年3月の東日本大震災が発生した際、5月に岩手弁護士会が行った出張法律相談の支援に兵庫県弁護士会の一員として参加し、7月、自由法曹団が行った陸前高田市や大槌町の現地調査にも参加することにつながったのだと思います。
竹嶋弁護士、前田弁護士が相次いで亡くなってから最初の1月17日(2016年)には、改めて御一緒に長田区小学校に法律相談に行ったことを思い出し、震災が発生した午前5時46分、毎年、神戸市役所南側の東遊園地にて開催される「阪神淡路大震1.17のつどい」に参加し、震災死された方々、そして竹嶋弁護士、前田弁護士の冥福を祈ってきました。
震災発生20年を迎えた4年前の1月19日付神戸新聞は、震災で家族・親族をなくした人たちを対象にアンケートを行い、20年間の気持ちや暮らしの状態を調査したところ、4割余りの遺族は震災前の水準まで回復していなかったという結果を報じていましたが、今年の1月11日付神戸新聞は、阪神・淡路大震災の被災者に自治体が賃貸で提供した「借り上げ復興住宅」の入居者らが、20年間の借り上げ期間後に退去を迫られている問題で、「コミュニティーから切り離され、孤立死の危険性を高める」と、借上げ復興住宅からの退去による悪影響を懸念する広川恵一医師のコメントを掲載しています。
本来、寄り添い続けなければならない被災者を切り捨てていく少なからぬ自治体の対応は、被災者の人権を軽視しているとの批判を免れるものではありません。
全国で大きな災害がつぎつぎに起こっており、すべての災害についても言えることですが、四半世紀近くが経過したからといって、阪神淡路大震災を風化させるようなこと、被災者を切り捨てていくような対応をしていくことは絶対にあってはならないことだと思います。