26日、元東京新聞論説兼編集委員・半田滋さんの講演「急浮上した敵基地攻撃~踏み越える専守防衛」が兵庫県弁護士会9条の会主催で行われ、神戸まで聴きに行ってきました。
6月15日、当時の河野防衛相は、突然、山口県と秋田県に配備予定だったイージス・アショアの配備停止を発表しましたが、自民党総裁選のさなかの9月11日、安倍首相は、内閣総理大臣の談話として、配備停止したイージス・アショアの代替に、ミサイルが発射される前に相手国の基地をたたく敵基地攻撃能力の保有検討を次期政権に促す談話を発表しました。
退任する首相が次期政権を縛る談話を発表すること自体、異例のことのようで、今後、国家安全保障会議で議論され、防衛計画大綱に取り込まれる見込みとなっているようですが、敵基地攻撃能力の保有は、専守防衛を基盤とするこれまでの安全保障政策を根底から否定する極めて危険な内容を持っています。
徹底した平和主義を定める憲法9条のもとで、何故、自衛隊を保持することが認められるのか。
この問題について、第二次安倍政権までの歴代内閣、そして内閣法制局は、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法に抵触しない、自衛隊は憲法9条が禁止する戦力ではないとの解釈を一貫させてきました。
この解釈の当否はひとまず措くとして、この解釈から導き出される防衛戦略の基本は専守防衛であり、集団的自衛権の行使は憲法のもとでは認められないということです。
安倍政権は、2015年9月、限定的ながらも集団的自衛権の行使を認める戦争法を強行採決により成立させてしまったわけですが、この時の国会答弁で、安倍首相は、限定的な集団的自衛権の行使容認は専守防衛を逸脱しないことを強調していました。
専守防衛とは文字どおり専ら守るという意味ですから、専守防衛のもとで、攻められてもいないのに相手国に先制攻撃をしかけることが憲法上許されないことは明々白々です。
小野寺元防衛相は、「ミサイルが止まっているところで食い止めるのが一番確実」などと呑気なことをいっているようですが、配備停止となったイージス・アショアは、日本の本土から日本の領空を飛んでいる弾道ミサイルを迎撃することを目的としたもので、まだ専守防衛の枠内にあるといえなくもないのかもしれません。しかし、敵地攻撃能力を持つということは、ミサイルが発射される前に、敵基地にあるミサイルを破壊するもので、これが専守防衛の枠内にあるなどということは絶対にできない筈です。
自民党内では、1956年2月29日の衆院内閣委員会で、当時の鳩山一郎首相が、「例えば誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」と述べたことを敵基地攻撃能力の保有が専守防衛と矛盾しないことの根拠とするもののようですが、半田さんの指摘によれば、鳩山答弁は、引き続き、「侵略国の領域内の基地をたたくことが防御上便宜であるというだけの場合を予想し、そういう場合に安易にその基地を攻撃するのは、自衛の範囲には入らない」と、敵基地攻撃が、通常の場合、専守防衛=自衛権の行使とはいえない旨も述べていたことを指摘していました。
敵基地攻撃能力の保有が、専守防衛の枠内などというのは、過去の政府答弁を捻じ曲げた詭弁以外の何物でもないことは明白です。
半田さんは、北朝鮮の大陸間弾道ミサイルが、米国を標的としたもので、北朝鮮は日本に弾道ミサイルを発射することなど全く考えていないこと(但し、米朝間で有事となれば、日本国内にある米国基地は当然標的となること)、したがって、わが国が敵基地攻撃能力を持つことは、専ら米国のために敵基地攻撃能力を持つことに他ならないことを指摘した上で、敵基地攻撃能力を保有し、自衛隊が他国に先制攻撃をすることを認めれば、専守防衛を基盤としてきた日本の安全保障政策は根底からひっくり返されることになる、安倍政権のもとでの明文改憲は押しとどめることはできたものの、2014年の集団的自衛権容認の閣議決定、2015年の戦争法の強行採決に引き続き、敵基地攻撃能力の保有を認めれば実質的な憲法改正が実現することになると述べられていましたが、同感です。
半田さんの講演の結論は、敵基地攻撃能力の保有を検討する政府与党の人たちには、「平和は軍事力でつくる」という思考停止状態の発想しかないが、そのような発想に基づく安全保障政策は自民党政権が続く限り修正不能で、そこを修正するためには選挙で体制を変える他ないということでした。この点についても全く同感。
イラク戦争では、イスラム国を自称するイスラム過激派組織が生まれました。
戦争は、憎悪を生み、その憎悪は次なる戦争を生むことは歴史の証明するところです。戦争や軍事力が平和を創りだすことはありません。
憲法9条の歴史的先駆性に確信を持ち、明文改憲を押しとどめたいま、解釈によって憲法9条を否定する企てを阻止するため、9条の会を中心に、真の平和を願う幅広い市民の結集が求められています。