吉田竜一弁護士ブログ

やはり死刑は廃止されるべき~平野啓一郎氏の「死刑について」を読んで

刑事弁護には弁護士の原点があると考え、弁護士1年目から積極的に国選弁護を担当してきました。

昨年秋に長期入院し、暫く弁護士会姫路支部の国選名簿から外してもらっていましたが、少しずつ体力も回復しており、5月から刑事弁護にも復帰すべく、国選名簿にも再登載してもらいました。

ところで、担当してきた国選事件は数百件になると思いますが、幸い今まで死刑を求刑される事件を担当したことはありません。

個人的には、死刑廃止論者です。

死刑廃止の立場に立つについては、冤罪の場合に取返しがつかない等々、いくつか理由があります。

もっとも、死刑廃止論が、被害者や被害者の御遺族の方々の権利を無視したり、そのお気持を踏みにじるようなものであってはならないことは当然のことで、死刑存置論者から唱えられている「自分が遺族の立場になったときにも死刑廃止論に立てるのか」という問いにはかなり重いものがあります。

これまで、死刑を求刑されるような事件を担当したことはなくとも、交通事故等で被害者の生命の奪った被告人の弁護を担当し、被害者から厳重処罰を求められたことは何件かあるのですが、そのような案件では、だいたいつぎのような趣旨のことを弁論で述べてきました。

深刻な被害を受けた被害者の遺族らにしてみれば、犯人に厳罰を望むのは当然であろう。遺族らにしてみれば、被害者が被告人の行為によって死に至らしめられたという事実こそが重要であり、その他の事情は決定的な事柄ではない。しかし、だからといって、犯罪の被害の程度のみによって機械的に刑罰の軽重が決まるとすれば、近代的な刑事裁判は意味をなさないことになってしまう。量刑に際しては、被告人の更生を視野にいれることも不可欠であり、ご遺族らの被害感情は軽視されるべきではないが、被害感情のみを絶対視して、その余の情状を無視して、被告人の更正を著しく妨げるような重罰が課されることがあってはならないと考えられる。

この意見は、弁護士として法廷で述べるべきことと、ご遺族が述べることは違って当然なのだということができますが、この意見が、「自分が遺族の身になっても同じことがいえるのか」という死刑存続論の意見に正面から答えるものになっているとは言い難い、議論がかみ合っていないといわれると、これまで十分な反論をすることはできませんでした。

この点は、ずっと悩んできたことなのですが、この長年の悩みを相当程度解消してくれたのが、6月16日に発行された芥川賞作家である平野啓一郎氏「死刑について」(岩波書店です)。

この本は、2019年12月6日に開催された、大阪弁護士会主催の講演会「芥川賞作家平野啓一郎さんが語る死刑廃止」の記録をもとに、2021年10月12日に開催された日本弁護士連合会主催のシンポジウム「死刑廃止の実現を考える2021」での発言等を再構成し、加筆・修正したものと紹介されています。

この中で平野氏は、自らが「死刑廃止論」に立つ理由をいくつか説明してくれているのですが、その中で、個人的に一番響いたのは、「劣悪な環境の中で育ってきたけれど、自分は犯罪などには手を染めずにがんばって生きてきたという人はもちろん、たくさんいるでしょう。僕はそういう人たちの人生をとても尊敬します。しかし、そういう人たちには、やはり、人生のどこかで全うな方向に進むきっかけなり、人との出会いがあったのではないか、と思います」として、そういうきっかけなり、出会いのなかった人が死刑を求刑されるような事件を犯した場合、「社会の中の怠慢を問わなくてよいのか」ということが述べられている部分でした。

平野氏は、「もし僕の家族が犯罪によって殺されるようなことがあったら、僕は犯人を一生ゆるさないかもしれない。でも、僕は死刑を求めません」として、「被害者に『ゆるし』までただちに期待するのは、過剰」であるが、死刑を求めないということと、犯人を許さないということが両立可能であるということ、死刑制度自体が「人を殺してはならない」という規範と矛盾しており、「人を殺してはならない」という規範の例外としての死刑制度を「設けているかぎり、何らかの事情があれば人を殺しても仕方がないという思想は社会からなくならない」「人を殺してもよい社会とするのか」ということを述べておられます。

自分もそういう考えを持てるようにならなければならないと思いました。

ここでは平野氏の考えていることをすべて紹介することはできず、このブログを読んだだけでは納得できないと考える死刑存続論者の方もたくさんおられると思いますが、そういう方は、是非、「死刑とは何か」をお読みください。

平野氏自身、本の中で、死刑廃止に反対の意見を持つ人たちを説得することまでは考えていないと述べておられますが、結論は変らなくとも、これまでの少々かみ合っていないと思われる議論に新たな視点を投じてくれる本であることは間違いないと思います。

付言しておきますと、今回の元首相に対する狙撃事件は、被疑者の動機が何であれ、著名政治家である元首相の政治活動が、選挙運動の機会に狙われて敢行されたものであり、多くの論者が述べているとおり、民主主義と政治活動に対する暴力として絶対に許されるものではありません。

ただ、平野氏の「死刑について」に述べられたところに照らせば、被疑者には、暴力で私的な恨みを晴らすのではない、全うな方向に進むきっかけ、出会いはなかったのだろうと思わずにはいられません。

その意味で、被疑者の刑事責任を問うに際しては、被疑者の人生が統一教会(現世界平和統一家庭連合)によって、どのように歪められてきたのか、統一教会の活動が、現在も信者及びその家族の人生に対しどのような影響を与えているのか、その活動が宗教の名によって保護されるものといえるのかについては、きちんと検証されなければなりません。

そのことが同じような事件再発の防止にもつながると思います。

アイ・キャッチ画像は日弁連のホームページから(青は死刑廃止国、薄い青は事実上の死刑廃止国、薄い黄は死刑存続国)

 

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