NHKのBSプレミアムが、4月1日から喜劇王チャップリンの代表作を毎週放送しています。
4月1日の第一弾「モダン・タイムス」は録画して観ました。
40数年前、確か中学生の時に映画館で観て、それ以来でしたが、1936年にあれだけの機械化社会を風刺した映画を作り上げたチャップリンは、まさに天才という他ありません。
ところで、「モダン・タイムス」と同じくらいに好きな「独裁者」の放送予定は5月20日。
「独裁者」はヒトラーの独裁政治を批判した作品で、ヒトラーとナチズムを大胆に風刺した名作です。
まだ観たことのない人にはネタバレのようで恐縮ですが、映画のラストで、チャップリンが扮する独裁者ヒンケルに間違われた床屋のチャーリーが行った演説、「だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らは嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。今こそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう」と訴えた演説は、史上最高の演説と評されることがあるようですが、映画「独裁者」にみられるように、歴史的にも文化は権力を風刺する手段として用いられてきました。
突然、こんなことを書いたのは、「20世紀少年」や「YAWARA」などで知られる有名漫画家の浦沢直樹氏が、自らのTwitterに「アベノマスク」というイラストを投稿したところ、これが激しい批判にさらされ、炎上しているらしいということを知ったからです。
私には、なぜ、このイラストが批判されなければならないのか、まったく理解できません。
これが批判されるのであれば、そうした批判は、結局、政権のすることに口を出すな、漫画家が政治のことに口を出すなというに等しいものだと思いますが、誰にでも政治的な発言をする自由、権力を批判する自由があることは言うまでもないだけでなく、文化の一翼を担っている漫画が権力を風刺する手段として用いられることを否定するような論調には到底ついていけません。
もちろん、誰にでも言論の自由はあり、浦沢氏のイラストを批判する自由もあるわけですが、このイラストを批判をするのであれば、「アベノマスク」を揶揄することは間違っている、マスク配布はコロナ対策として正しいということを具体的に論証すべきでしょう。
しかし、マスクが全く役に立たないとまでは言いませんが、東京五輪開催に最後まで固執した影響を受け、後手に回ってきたコロナ対策のなかで、466億円もかけて、感染予防に効果の薄いといわれる布マスクを1世帯に2枚だけ配布することが真っ先にやらなければならない、正しいコロナ対策であるとは到底思えません。
466億円を使うというのであれば、まずは、崩壊寸前といわれる医療現場の病床確保、検査体制強化等のために回すべきですし、また、医療現場の崩壊を阻止するために全力を尽くすのと並行して、自粛と補償を一体とした給付が直ぐに実現されなければなりません。
今日、そして明日を生きるために働くしかない人、お店を開けるしかない人に自粛しろといっても、その効果が拡がるわけがありません。自粛要請に従わない人たちは、要請を無視したくて無視しているわけではないのです(その意味で、要請に「従わない」のではなく、「従えない」というのが正確ということになります)。また、ほとんどの演劇、コンサート、ライブ活動が延期、中止を余儀なくされている中で補償をないがしろにすれば文化自体が壊滅的な打撃を受けることは必至です。
感染防止という公共の福祉のために、自粛という特別の犠牲を課される人たちに補償をすることは憲法29条の要請でもあります。
小手先の対策をアリバイ的に実施するだけで、憲法の理念を無視し、自粛と補償を一体としたコロナ対策の実施を渋る政権が批判されるのは当然のことで、そうした声を封殺するような批判は、私は間違っていると思います。