岸田内閣は、7月22日の閣議で、9月27日、安倍元首相の国葬を日本武道館で実施すると決定しました。
安倍首相に対する銃撃は、被疑者の動機が何であれ、民主主義と政治活動に対する暴力として絶対に許されるものでないことは従前のブログでも述べました。
しかし、そのことと国葬にすることとは全く別の問題です。
共謀罪、特定秘密保護法、集団的自衛権容認の安保法といった憲法違反の法律を強行採決という方法によって次々に成立させ、モリカケ、桜を見る会等、権力を私的に行使し、疑惑を何ら明らかにすることなく、国会で118回も虚偽答弁を行ってきた人物、反社会的組織といってよい統一協会とも深い関わりがあったことが明らかになっている人物を対象に国葬を執り行うことなど、私自身は、あり得ないことだと思います。
もちろん、立場を異にする人からは、安倍元首相の功績には大きなものがあり、国葬とするのは当然という方もおられるのかもしれません。
しかし、より根源的な問題は、国葬が、政府が主催し、国費で行われるもので、国家が国民に対して弔意を強制するものに他ならないということです。
このような国葬は、少なくとも安倍首相の業績について否定的な評価をする人にとって、憲法19条が保障する思想良心の事由(内心の自由)に抵触することになります。
安倍元首相に対する様々な評価がある中で、全ての国民に弔意を強制することなど憲法に照らしても許されません。
今般、岸田首相が「国葬」を決めたことについては、「国葬」で安倍元首相を最大限に持ち上げて、そのまま「安倍元首相の思いを受け継ぎ、安倍元首相の悲願」であった「改憲」に突っ走るための布石としたいという意図が透けて見えるのですが、「国葬」の政治利用など言語道断です。
1日に発表された世論調査では、「国葬」に反対する人が賛成を上回っただけでなく、岸田内閣の支持率も51.0%と内閣発足以来の最低に急落したようです。
岸田首相は、国民の声に真摯に向き合うべきです。